凶作飢饉の年に、いかにして貧民が食いつなぐかの法を説く『民間備荒録』で、さまざまな草や葉の食い方を列挙したのち、いろいろな味噌の作り方を記している。貧民は味噌食わずして木の葉、草の根を食うからその毒にあたるのだ、と、はじめに「米粃味噌」の作り方を説く。これを「ぬかみそ」と読むが、ぬか漬けに用いるぬか床にあらずして、9割ほども米ぬかをいれ、のこりを豆でおぎなって仕込む味噌のことである。
げぇっ、ぬかを食うのかよ、とおもうが、しかし、かんがえれば玄米食しているくせにおどろくとはけったいな話で、げんに、こないだだって半分以上もぬかをいれたクッキーを、そのときだってはじめにはおどろきつつも、おいしく食べたばかりだというのに。
さりとてこの米粃味噌を作る気にはなれない。有機稲作はまだまだ不作といえど飢饉ではない。
それから、「未醤」と書いて「たまみそ」と訓じてあるものを紹介している。これはいまでいうところの豆味噌で、大豆のみで麹をつくり、豆の3割量の塩で仕込む。
その大豆麹の作り方はといえば、すなわち、
「大豆〈能煮熟し〉一斗、臼にて搗泥のごとくにし、餅子(たま)となし数日を経て上に黄色出たる時、云々…」
実に簡素な記述で不安にすらなるくらいだ。この「黄色出たる」という黄色は、麹菌であり、表面を黄色でおおうほどに繁殖したことをもって、この餅子が豆麹となったと認められる。さすがに気中をただよう麹菌をよびよせる勇気はなくて、ぼくは豆麹を買って、蒸した豆に混ぜ、また表面にまぶして、二、三日待った。しかし黄色出ず。さらに待つ。
ところで、ふしぎなのは、ほかのものは「味噌」と書くのにたいして、これは「未醤」と書いてあることで、これは味噌と言いつつも、どうやら簡易な醤油らしい。
というのは、黄色出たるあとには、水で洗ってから塩と水と混ぜ、「手にてすくい上げれば、どろどろとする程にして桶に入れ置き、数日を経て用いれば、色能出味もよしといえり。」とあるから。だからこのたまみそのたまも玉の意ではなく、むしろ、たまり醤油の方から引っ張ってきた語のようにおもう。
いやしかし、未醤とは、いにしえの日本における、味噌のことではなかったか。いやいや文章が路頭にまよった。百計寝るにしかず。さよならさよなら。